産休に入っている友達に会った。
彼女とは数年前まで一緒の職場で働いていたのだけれども、
久しぶりに会って数分で「あ」と気づいたことがある。
彼女が関西弁で喋っていること。
彼女は、家族で関西から東京に移ってきていて、
家の中では関西弁を話しているのだろう。
職場で標準をしゃべる環境から少し離れている彼女は、
自然と私にも関西弁で話している。
今日まで標準語の彼女しか知らなかった私にとっては、
なんだか素の彼女が見られたような気がして、
とても嬉しかった。
「そうかそうか、彼女は本来、こういう風に話すのかぁ〜」と。
・・・しかし、ランチを終え、
お茶をしているうちに違和感を感じる。
向かい合って話している私が
つまらない標準語で受け答えをしているせいで、
彼女の会話の語尾に、関西弁と標準語が混じり出す。
語尾が不安定になり、関西弁と標準語の間で
彼女の心がウロウロしているのを感じる。
お茶とケーキを食べ終わる頃には、
ついに関西弁が消滅し、
職場で知っていた彼女が私の目の前にいた。
なんだろうか、
素の彼女が消えてしまったような気がして寂しい。
「お願いだから、関西弁で喋り続けて!」
「なんやったら〜、私も関西弁で努力するさかい〜
かんにんやで〜!!!」
とも言えず、
(私の関西弁は、だいたいにして関西人をイラつかせる。
もちろん悪気は一切ない。)
私はそっと自分の標準語が恨めしいと思った。
私が関西人だったら、もう一歩彼女と心を開いて
お友達になれたのではないか・・・。
数ヶ月後、彼女の子供が生まれてたら、
その子は関西弁をしゃべるかな?
できれば、出産後の彼女にまた会いに行って、
今日のことがリセットされ、
関西弁を普通に喋る彼女を
もう1度ぐらい堪能したいと思いました。
方言が目の前で消える時